上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
新規キャンバス

世界が“終わる”と宣告された時、わたしはいつも違和感を覚える。
突然の隕石、地球の爆発、そんなもので地球が終わるのなら、
そのために何を考えたって、所詮は人類なのだから、何一つできることなんてないだろう。
滅亡の非日常感を取り立てて騒ぎ立てる彼らは、まるで祭りを盛り上げる演者たち。
結局、彼らは終末論を楽しんでいる、ただそれだけじゃないかって。

もしもわたしの描く“滅亡”が、今の人類の足跡の先にあるとするならば、
滅亡とは終末論に描かれるような、生易しい世界なんかじゃない。
それは地球がわたしたちを見放すということ。
飢えであったり、毒であったり、病であったり。
そしてゆっくりと、苦しみと後悔におぼれて、わたしたちは死んでいく。

だから、もしも世界が“唐突に、一瞬で、一気に、”終わるのだとするのなら、
きっとわたしたち人類は、幸せだったのだろう。

結局は変わらずにそこにある星空を見上げて、わたしはそう思うんだ。
****************************************************
上の文に特に意味はなくてですね。←

そもそも「暦(こよみ)」というのは「朝と夜の周期をはかり、生きる時を区分するために、
そこにいる人たちの都合で勝手に時間を切り分けた物差し」であって、
だから世界に数ある暦のたった一つを取り上げて、これが終末のサインだと騒いだところで、
その論に中味なんてないんじゃないか。
今日記を書いてる方の私はそう思うんですよねー。

もしもゆっくりと地球が滅びの途をたどっているのだとしたら。
たぶん地球の、いや、人類の命運をわずかでも延命するために、私達農学部は存在するのでしょう。

※終末論への批判などではないです。気分を害された方は失礼しました。
Secret

TrackBackURL
→http://sweetpops0.blog56.fc2.com/tb.php/246-5228b073
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。